個人再生を行って人生出直し中のサラリーマンのブログ

1600万円の多重債務による借金を個人再生で300万円に減額して返済したサラリーマンの話です


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ついに返済が終わりました

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ついに、ついに3年間12回の返済が終わり、個人再生のプロセスが完全に終わりました!

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めでたく個人再生が終わりました 

裁判所から再生計画が承認されたのが2017年11月。その後

2018年2月、5月、8月、11月

2019年2月、5月、8月、11月

2020年2月、5月、8月、11月

と12回の返済が完了しました。これで晴れて一般市民になれました。

平坦な3年間ではなかった

この3年間、決して平坦だったわけではなく、むしろ人生の中で最大の激動だったと言えるかもしれません。

突然の別居

まず、2018年11月に私が起こした不祥事をきっかけに、家族との別居が始まりました。要は家を追い出されたわけです。

保証人・保証会社が使えない家探し

この時は経済的にも二重生活になるので厳しかったですが、それ以上に金融事故を起こしているので、信販系の保証会社(オリックスが最大手です)が使えないのが厳しかったです。家族か親族で定収入のある保証人を立てるか、不動産会社が指定する保証会社を使わないと賃貸住宅の契約が出来ません。ここでは、オークハウスというシェアハウス運営会社に救われました。この会社は保証人・保証会社不要で、自社保証をしてくれるのです。そこで、契約金と一月めの家賃を払えれば契約OKという形なので、過去金融事故を起こしたかどうかは問われません。更に基本的に家具付きで、体一つで入居できます。布団はアマゾンで買えば入居日に届けることが出来ますが、レンタルの布団もあります。シェアハウスは入居時の年齢制限があるのが普通ですが、オークハウスは年齢制限がないのも嬉しかったです。

シェアハウス・ゲストハウスの東京オークハウス

役職定年で収入ダウン

2019年6月に満56歳を経過したことで、管理職から一般職になり、基本給・手当ともに減額されました。基本給で言えば4割ダウン、ただ一般職には残業手当があるので、トータルでは3割ダウン程度となりました。世間一般から見ると高給取りから普通の人になった程度ですが、年間100万円の返済は堪えます。更にこの時まだ息子の大学の学費も残っていました。本当なら1年前に卒業していたはずなのですが、単位が足らず留年したので計算が外れました。私立大学は学費が高く、年間150万円かかります。実は個人再生を始めた頃は役職定年となった役職者は関係会社に出向するのが普通で、その際に退職金を貰えるので、そのつもりでいたのですが、単純に一般職への降格となった為、退職金は60歳の定年までもらえないことになり、すっかり当てが外れてしまいました。

やむなく同居に戻ったが、モラハラ(虐待?)にあう

個人再生と学費支払いとシェアハウスの家賃の3つの支払いをすることができなくなり、やむなく同居に戻ることになりました。しかし、同居とは言えども家の鍵を持つことは許されず、寝る所も玄関先の廊下という、人間扱いされない生活となりました。そのような生活を続けることは出来ないと思いましたが、離婚訴訟を起こすには弁護士費用の準備が必要です。弁護士さんと相談しながら節約生活をし、なんとか弁護士の着手金30万円+αを貯めるのに8ヶ月かかりました。

本格別居と離婚調停開始

7月に再び別居し、同時に弁護士を通じて離婚調停の申立をしました。今度は家に帰るつもりはありませんし、準備期間もあったので、住居はURの賃貸住宅、いわゆる公団団地にしました。URも額面収入が家賃の4倍あれば、保証人・保証会社無しで入居できます。築60年の老朽建築ですが、鉄筋コンクリートで耐震補強もされているので建物は堅牢です。内装は完全リフォームされており、居室内は新築のように綺麗でした。

UR賃貸住宅

節目を迎えて新しい人生を歩きだします

3年にわたった個人再生の返済が終わって、大きな節目を迎えました。あとは今進行中の離婚調停にケリをつけ、新たな人生を歩きだしたいと思います。今までの家族と歩いていた人生と異なり、一人孤独に過ごす人生になりますが、一方で何をやっても良い自由な人生をやっと手に入れたとも言えます。80歳までと考えてもあと20年以上ありますので、充実したシニアライフを過ごしてゆきたいと思います。

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